-ちぃちゃんのこと-


♪ちぃとビデオ♪
  Date: 2000-08-20 (Sun)

朝、なんだかビデオの音がする。
「ああ、ちぃが起きているんだ」
今朝のちぃは早起きだ。

あの人はビデオばっかり。
でも、全然見てない。
つけて、それから安心してどっか行っちゃう。
おもちゃで遊んだり、
一生懸命なにかかいてたり。

弟とチャンネル争いってヤツにもなる。
「つぎはちぃちゃんの番でしょ」って
弟を納得させても
ビデオがまわるとどっか行っちゃうちぃ。
そりゃ、弟は怒るよね。
「だってちぃちゃん、見てないもん」
で、弟の見たいものに変えてやると、
すぐにちぃが走ってきて怒り出す。

順番や我慢を教えようと
けっこうがんばったけど、
結局テレビをもう一個買った。
うちにくるこどもたちが口々に
「ちぃちゃんが悪いよ、見てないもん」
と言うので
やっぱり弟に、おかしなことを納得させるのは
かわいそうと判断した。

ビデオは同じものを繰り返し繰り返し。
見てるときはしっかり見てて
うたのものはうたと振りを覚え、
ストーリーものは登場人物の動きを全て覚える。
ビデオに合わせて、ひとりでやってる。

私は呼びつけられて
相手役をさせられたりする。
ずいぶん前は、私は毎日トトロだった。
ちょっと前は王子様か七人のこびとの役だった。

今の彼女のブームはディズニーの「人魚姫」。
泳ぐ動作が難しいからか、いまのところ
相手役の要求はされていない。
人魚姫が陸に上がって王子様とからむシーンを
やらされるのは時間の問題とは思っている。

私はかーちゃんで専業主婦のただのおばさんだが、
ちぃの前では王子様になる。

ちぃがいないときは
私は家事をしながら、
高らかに人魚姫の歌を歌っている。


“愛想笑い”
  Date: 2000-08-20 (Sun)

ちぃがふしぎな“愛想笑い”を覚えた。
いつからだっただろう。

子どもたちが言う。
「ちぃちゃんの笑った顔は、時々怖い」

私の顔を覗きこんで、ニッと笑う。
にこにこじゃない。
目が笑っていない。
何も言わない。

あなたは何が知りたいの?
あなたは何が聞きたいの?
あなたは何が言いたいの?

ニッと笑うちぃの前で
私は時々、謙虚になる。


ちぃの髪の毛
  Date: 2000-08-25 (Fri)

ちぃがね、
髪の毛を自分で切っちゃったんだよ。
はさみでね。

前の日にね、
わたしが下の子の髪を切るのを見ていて
やってみたかったんだろう。

短いところができちゃって
あわてて、うまーく直したんだよ。

ちぃはね、
毛が細くってなかなか生えそろわない赤ちゃんだった。
わたしにとって、だいじなだいじな髪の毛だった。
すごく月日をかけて、
やっと地肌が見えなくなった。

ちぃがもっと小さいとき、
やっぱり、髪の毛を切っちゃったことがあった。
はさみでね。
「わたしがだいじにしてた髪の毛を切っちゃヤダ」って
すごく悲しかった。

おばあちゃんがね、
下の子のお産でわたしがいないときに
ちぃの髪の毛を切りそろえた。
わたしはね、泣いちゃったんだよ。
「無断で切った」って。
「わたしに聞かずに切った」って。
やっとそろってきた、だいじなだいじな髪の毛だったから。
切るときは、どきどきしながら切りたかった。
わたしが切りたかったんだ。
おばあちゃんのカットは上手だったんだけどね。

赤ちゃんのとき、
ちぃの髪の毛は「わたしの」だった。
思い入れも含めて、「わたしの」だった。

今、ちぃはもうすぐ9才になる。
そこらに散らばっている
ちぃが自分で切っちゃった髪の毛をかたづけながら
「ああ、これは『ちぃの髪の毛』なんだ」
「もう『わたしの』ではないんだ」
「この子は、もうずっと前から『自分の人生』を歩き出しているんだ」
そんなことを思った。

ちぃが自分で切って、変な長さになっているのを
全体を考えたカットをしながら、
「この子の人生はこの子のものだ」
そう思った。
「障害を理由に、この子の人生に手を出し過ぎないようにしなきゃなあ」
そんなことを考えたんだ。


車の運転
  Date: 2000-08-26 (Sat)

私は自動車免許は持っていたけど
長いこと、持っているだけだった。

ちぃが生まれて、小児病院に行かなければならなくなったとき、
診察のあとで渡されたものは、
温もりのまだ残ったおくるみと、今まで着ていたベビー服だった。
ちぃは裸で保育器に入れられたから。

入院の手続きの用紙と、生暖かいベビー服を持って
電車に乗るのは、とてもつらかった。

退院してから、検査入院の期日の話が出るようになった。
もう二度と、ひとりで帰る電車は経験したくないと思った。
あわてて、教習所に行った。
ペーパードライバーコースに通うために。

車の運転はできるようにはなったけど、
検査入院の当日は、暴風雨だった。
「ちぃがいなくてさびしい」よりも
暴風雨の中での運転が怖くて、やっと帰ったって感じだった。
現実というものは、ときどきおかしい。

ちぃがきっかけになった、車の運転で、
今はなくてはならない「足」になったけど、
ちぃを連れて、電車やバスもよく利用する。

ちぃは自動車免許の取得は難しいから、
自分で動ける子になってほしくて、
公共の交通機関を意識して利用する。

車を使うかぎり「連れられて」から、抜け出せない。
電車やバスは「いっしょにいこうね」になるからね。

切符を買わせて、切符を持たせて、
「さあ、いっしょにでかけよう」。
自分の足で歩いて行こうね。
ゆっくり、しっかり歩いて行こうね。
ときどき、顔を見あわせて、微笑もうね。


ごめんね
  Date: 2000-08-31 (Thu)

わたしがちぃを叱ると、ちぃはすぐに言う。
「めんね」。
わたしがちぃの弟を叱っても、ちぃはすぐに言う。
「めんね」。
心配そうな顔をして、わたしの顔を覗きこんで言う。
「めんね」。
それから、にっこりと笑ってみせる。

遠い昔に、わたしが小学生だった頃、
ちょっと変わった同級生がいた。
少し変わった顔つきをしていて、妙なしゃべり方をして、
みんなと同じことができなかった。

その子も誰かが叱られると言ってたな。
「ごめんなさい、○○さんの分もごめんなさい」って。

わたしは、その子といっしょにいるときには、
その子のことがわからずじまいだった。

今、ちぃのまわりにいる人たちもそうなんだろう。
今は、わからないこともあるだろう。
いつかわかるようになることも、あるんだろう。
自分のなかで流れたたくさんの時間が、
ちぃのまわりの人たちを、そのままに受け入れる自分を作っていく。
うれしく思う人たちも、
うれしく思えない人たちも。

そして、遠い昔の同級生に思う。
わたしはあなたがよくわからなかったし、
わかろうともしなかったんだよ。
ごめんね。


誕生日
  Date: 2000-11-25 (Sat)

今日10月13日は、ちぃの誕生日。
生まれてから9年がたった。
あっという間のような気もするし、
実にいろんなことがあったという気もする。

経験したこと全てが、誰かの役に立つように
なんらかの形で動いていたいという、
漠然とした気持ちがある。

年数がたったと思うことは、
誕生日のときにしか「○年たった」という気持ちを持たなくなったこと。
以前は、「死んでる」と言われた日、
入院した日、手術した日、ICUをやっと出られた日、退院した日。
そんな折に、いちいちいろんなことを感じたものだった。
今は、忘れるわけではないけれど、そんなに気持ちも動かなくなってる。
平和な日常が当たり前になってることが、
とてもありがたいことだと思う。

*2000年10月13日のこと・・・*


小学校の運動会のこと
  Date: 2000-11-25 (Sat)

先日、ちぃの小学校の運動会があった。
特殊学級在籍のちぃだけれど、
運動会は交流級の一員として参加する。
交流級の中に入って行進し、交流級の座席で観戦する。
該当学年の競技や演技に、交流級の一員として出場する。
特殊学級としての行動は、途中で教室に入って適当に休憩をとることだけ。

ちぃが出た競技は80メートル走。
悠々と自分のペースで走る。
お決まりの「拍手」と「新たなゴールテープ」。
これはもう、運動会のお約束のようなものになっている。
それを当然のように知っているちぃは、走っているときから「スター気取り」。
両手を上げ、観客に愛想を振りまきながら走る。
観客に見られると「燃えるちぃ」は、お祭り好きな女の子に育っている。

ちぃの出た演技は3年生のダンス。
総合学習化の一環で、子ども達が自分たちで考えた演技。
途中、フラフープを使ったり、子ども同士で馬飛びをしたりと、ちぃには少々難しいところがある。
フラフープのところでは、特学の担任が素早く走りより援助。
馬飛びのところでは、ちぃだけ他の子どもと、手をタッチするようにアレンジされていた。
3年生とは言っても、4歳児の大きさしかないちぃ。飛ぶのも飛ばれるのも、難しい。
手をタッチというのは、ちょうどいいと思った。
適当に支援されつつ、同年齢の子といっしょに参加する運動会。
途中休憩など、適切な「特別」もあり、様々な場面でさりげなく子どもの支援がある。
いつもながら安心して見ていられる運動会だった。
他の子どもの親も、自分の子のちぃに対する支援を初めて目にすることが多いらしい。
彼らにとっては「親にわざわざ報告するほどのことでもないこと」ということのようだ。
日常的に交流級に参加していることの意義を、行事などのときに改めて感じることが多い。

*2000年10月のこと・・・*



もうひとつの運動会
  Date: 2000-11-25 (Sat)

「横浜市特殊学級・養護学校合同運動会」
これが、ちぃのもうひとつの運動会。
市内の区ごとにブロックで分かれて行われる。
4区がブロックになり、その中のひとつの小学校の校庭を使って平日に行われた。
普通の子が普通に授業が行われている中での運動会。
そこの学校のこどもが出演する演目もある。
開催校のPTAや地域ボランティアなどのご協力もあり、「地域の中で行われる」運動会。

昨年度までは、市内全ての特殊学級・養護学校が参加対象で、三ツ沢のグラウンドで行われていたそうだ。昨 年度までは、ちぃの特殊学級は参加していなかった。

参加する子ども達が、楽しんで参加できるプログラムが中心に構成されていた。
全員参加の50メートル走で、みんなのびのびと走っていた。
普通の運動会のスタートのペースでは、やはりどこか「急がされてる」のかもしれないとも思った。
子ども達が誇らしげに参加しているのを見ると、「いっしょがいい」とか「分離がいい」とかじゃなくて、両方が必要 なんだと改めて思わせられる機会だったように思った。

*2000年10月のこと・・・*


ちぃの友だち
  Date: 2000-08-20 (Sun)

ちぃは「特殊学級在籍」だ。
交流級には毎日行く。

ちぃには友達がいる。
障害のある子もいる。
障害の無い子もいる。

学校から帰ってくると、
近所の友達がやってくる。
独創的な遊びを考え出して、楽しく遊んでいる。
その年齢の遊びでは、ちぃには難しい。
で、オリジナリティの強い遊びが展開することになる。
こどもたちが考え出す。
ちぃを仲間に入れるために。

1年の頃、交流級に、ある男の子がいた。
ちぃに言った。
「おまえはここに来ちゃいけない。
 あっちのクラスに帰れ。」
言うだけでなく、突き飛ばしたりもしていた。
学校という場所に彼は混乱している時期だった。

彼の言う言葉は調子の強いものだったが、
私は彼がいつも泣いているように見えた。
ちぃはその子をじいっと見てた。
でも、堂々としていた。

担任の教師に言った。
「ちぃは動じていません。
 しばらく、見守っていてください。」

交流級から特殊学級に戻るとき、
ちぃはその子に手を振って帰ったという。

「ふたつのクラスをちぃが持ってることに
 やきもちを焼いていたらしい。」
あとで、そう聞いた。

1年の秋、ちぃの誕生日、
彼から手作りのカードをもらった。
その日一日の休み時間を全て費やしていたと聞いた。
友達の誘いも断って。

彼とちぃはいっしょに遊んだことはない。
でもきっと、友達なんだろう。


おかあさん
  Date: 2000-08-20 (Sun)

2年生になったある日、とつぜん言った。
「おかあさん」
お友達が遊びに来ていて、お菓子を出しているときだった。
みんなでびっくりした。
「今、おかあさんって言ったね」

一度言ったことを「もう一回言って」は
ちぃにはきかない。
がんとして言わない。
「聞いてなかったの」と言わんばかりに。
ちぃはプライドが高い。

それから、ちぃはよく言うようになった。
「おかーしゃん」
とつぜん、それもはっきりとは言わない。
「なあに」と言うと、満足そうにほほえむ。
「ちゃんと私をキャッチできたわね」とほめているように。

「おかーしゃん」「おかーしゃん」
「なあに」「なあに」
ちぃのテストに失敗できないと
私も聞き逃さないようにいつも必死。

「おかーしゃん」「おかーしゃん」
あなたはわかっているのね。
ことばというものは、
通じ合うことの喜びのためにあるって。

少しずつ話すようになってきたちぃ。
でも、ことばというものの本当の意味を
伝えてくれる魔法の言葉。
「おかーしゃん」

用事があるときに「ママ」と言っていたときよりも、たくさんの思いが伝わる言葉。
「おかーしゃん」


あなたが生まれた日のこと
  Date: 2001-09-11 (Tue)

台風が来てる。
暴風警報が発令されて、
学校は臨時休校になった。
外は、雨風が吹き荒れてるのだけれど、
家の中は平和な時間が、ゆっくりと過ぎていく。

あの秋、台風の被害は甚大だった。
雨が降れば、テレビは被害の様子を伝える画面ばかり。
「稽留流産の誤診」という台風で始まった、初めての妊娠は、
検診に行く日が嵐のような日ばかりだった。

その日は、夜から、嵐が吹き荒れた。
体が「始まる」と、訴え始めた。
少しずつ、少しずつ、始まる変調。
痛いのか痛くないのか、よくわからない始まり。
ただ、経験したことのない変化が、
ある一定の時間で起きる。
少しずつ、少しずつ、短くなる間隔。

「出産だ」。
支度をして家を出ると、嵐が吹き荒れてた。
車に乗るときに、傘をたたむ。
それだけで、髪も服も、あっという間に濡れた。
産院に着いたときは、もう真夜中だった。
「まだまだ時間はかかりますよ」

痛いのか、痛くないのか。
初めての体の変調は、
少しの痛みにも、敏感に感覚を感じとっていた。
体の声を聞く。
初めての体の声に対しての怖れと新鮮さが、
体の神経を過敏にさせていた。
来る・・・。
自分の呼吸に集中する。
ああ、これで一つの波が終わる・・・。
呼吸をゆっくりと、体の変化に合わせていく。

ゆっくりとゆっくりと、体の声を聞く出産。
それを考えていた。
自分で選んだ体験というのを、楽しみたかった。

変化と変化の間の時間が、どんどん短くなっていく。
それでも、「休息」がある。
体の神秘というものは、本当におもしろいものだった。

体の声は、最後には、
体の持ち主の全てを左右していく。

生まれた。

胎児が新生児になった。
胸の上に置いてもらう。

夜が明け、朝が過ぎ、もう昼になっていた。
柔らかな陽射しがふりそそぐ。

ちぃちゃん、
あなたが生まれようとしていた夜は、嵐だったのよ。
そしてね、
あなたが生まれた日は、とても暖かな秋の日だった。

今日は、あの秋の日のようなお天気ね。
また、どこかで、新しい命が、
嵐にも負けずに、生まれて来ようとしてるのかしらね。


ちぃのママ
  Date: 2002-03-30 (Sat)

ちぃのママは、もう一人います。
それは、「順子」です。

ちぃちゃんは、2歳から6歳まで、
市立の保育園で育ちました。
そのとき住んでた市の制度で、
障害児の入園に、
臨時職員の加配の制度がありました。

見学に行った園で、
そのときの園長と、4月からの新園長が考えました。
「ちぃちゃんの入園に
 加配の保母は、誰がいいだろう」

そこで、白羽の矢が立ったのが、「順子」でした。
「順子」、学生のときの研修でこの保育園にやってきたことがある。
研修中にもかかわらず、
「使える」保母だったということでした。

「順子」、研修中に、
子どもから、みずぼうそうをいただいて、
ひどく重症になり、
卒業が遅れて、新卒で就職できませんでした。
そこで、臨時職員として、別の保育園で働いていた。
それを、呼び出して、
採用したのでした、ちぃちゃんのために。
このとき、
確か、21だったと思う。

わたしは、「順子」といっしょに、
ちぃを育てました。
「順子」がいなければならなかったと思う。
大切な大切な、ブレーンでした。

「順子」はいつも、ちぃを認めてた。
あの子の、小さな小さな発達の芽を、
ひとつも見逃さなかった。
見逃していないというサインをちぃに送り続け、
ちぃの自信をも、大きく育てた。
彼女はいつも、ちぃを信じてた。

「順子」は、けして、ちぃを甘やかさなかった。
根気よく、叱り続けた。
闘うようにも見えたことさえある。
でも、ちぃは、「順子」がちぃを信じてること、
いつも、ちゃんとわかってた。

弟が生まれたとき、
2ヶ月、保育園を休んだ。
そして、復帰したときに、
保育園に行くのは、ちっともイヤがらなかった。
わたしに笑顔で、ばいばいと手を振って、
園にいた。
でも、あの子は、園で、毎日、泣き続けた。
迎えに行って、泣きはらした顔を見て、
その報告を聞いて、
わたしは、せつなくて、途方にくれてた。

あの子は、赤ちゃんをとてもかわいがってた。
でも、喪失感みたいなものを感じてるみたいだった。
赤ちゃんを生んで、
そして赤ちゃんを抱いて、退院してきたわたしを、
あの子は、無視しつづけた。
そして、ある日、授乳の最中に、
つっぷして、号泣した。
赤ちゃんを放り出して、ちぃを抱きしめた。
そして、その午後、
ちぃは、吐き続けた。
わたしは途方にくれて、
そして、とてもとてもせつなかった。
なんとか落ち着いて、園に復帰させた。
あの子は、笑って園に戻っていった。
子どもたちは、歓声をあげて、
ちぃの復帰を迎えてくれた。
安心していた、あの子の居場所があることに。
その上での、毎日泣いているという報告だった。
たまらなかった。

そのときに、園長が言った。
「ちぃちゃんが、自分の気持ちを出していくこと。
 これも大事なことだと思います。
 泣きたいときは、思いっきり、泣かせてやります。
 だから、おうちにいるときに、
 たくさんかわいがってあげてください。
 泣きたい気持ちは、こちらで全て、面倒を見ます。
 そうやって、ちぃちゃんが越えていくことも、
 大事なことだと思います。
 だから、休ませないで、連れてきてください。」
そして、付け加えた。
それは、「順子」の意見だと。
園長は、「順子」の意見に従うことにしたと。

途方にくれてるわたしに、「順子」がぽつりと言った。
「ママはね、よくやってるよ。」

自信を無くして、途方にくれてるときに、
この「よくやってるよ」ってほめ言葉は、
暖かく、暖かく、心にしみた。
「順子」は、わたしにとっても、
大事な大事な友達だった。

「順子」は、臨時職員で、
その若さから言っても、
どこかに、正規に就職してもおかしくなかった。
毎年、公立の保育園の保母になるための試験は受けてた。
どこかに、ちゃんと就職してしまえば、
そこに出てくるのは、ちぃとの別離だった。
「来年こそは、順子と別れなければならない」って
毎年思ってた。
でも、順ちゃん、どこにも採用されなかった。
だって、アンタ、ちゃんと勉強してなかったじゃない。
そのうち、試験受けるのさえ、やめてしまった。

結局、「順子」、ちぃと最後までいっしょにいた。
別離は、でも、やってきた。
うちの転居っていうことでね。

わたしたち、この時期、泣いてばかりいたねえ。
ただ、泣いてたねえ。
だから、言ったじゃない。
アンタ、うちの養女になんなさいよって。
連れて、引っ越すからって。
バカね、断ったりして。

なんだか、わたしのわがままで、
「順子」から、ちぃを取り上げるような気がした、あの頃。
わたしも、
「順子」なしで、ちぃを育てられるのか
とても不安だった。

保育園の最後の日、
わたしたち、たくさんたくさん、泣いたねえ。
ちぃちゃん、何もわからないって、
なんか、悲しかったねえ。
わたしね、
同じクラスの母親たちに、
感謝されてたんだよ。
ちぃちゃんがいたから、
クラスに「順子」がいたってね。
いろんな人に信頼されてたね。
アンタ、子どもと遊ぶのも、
叱るのも、うまかったよねえ。
母親に、園の様子の報告するのも上手だったよね。

ねえ、順ちゃん。
ちぃちゃん、もう5年生になるんだよ。
また、写真、送るね。