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リンゴがたくさん落ちた台風が来た年の秋、娘が生まれた。
妊娠二ヶ月の時、「おなかの中ですでに死んでいます」と診断され、
掻爬の日程も決まっていた。
生まれるはずのなかった私の赤ちゃん。
産科をかえて、「生きていますよ」と言われて泣いた日を、
私は忘れないだろう。
出産場所に助産院を選んで、
パパと助産婦さんに取り上げられた私の赤ちゃん。
生まれた直後からずっと一緒だったのに
まもなく完全看護の病院に入院してしまった。
ベビーベッドに使えなくなったベビー用品を全ていれ、
大きな布を上からかぶせて大声で泣いた。
「私の赤ちゃんをかえして!」
病院で、ダウン症であること、心臓の手術をすることの説明を受けた。
病院の中でひいた風邪から重い肺炎に移行していった。
命が危なくなった。
ダウン症であることは、もちろんショックだったけれど、
生きて、元気で退院するという将来が、
いつになるのかわからない状態のころだった。
それから半年ほど月日が過ぎて、退院の日を迎えた。
三途の川から引っ張り戻した私の赤ちゃん。
ダウン症だと聞いたとき、
(あのとき掻爬していたら)なんて、もちろんちょっと考えた。
でも、今はこの命がうれしい。
危険の中で、心臓の手術をしたとき、
(このまんま悪くなったらこの子を育てなくてよくなるって思ってない?)と、
自問自答したりした。
でも、今、娘の命そのものが私の宝物。
家で元気に暮らせることを幸せだと今でも折に触れて思います。
ダウン症だと告げられた時よりも、
「死んでいます」の方が、何倍もショックだった。
生まれてくれてありがとうと心から思っています。
| ■ 育児の違反? |
| Date: 2000-08-20 (Sun) |
ダウン症の子育てってなんだろう?
ダウン症の告知を受けたとき、
なんか特別な努力をしなければいけないのかと思った。
「普通に育てなさい」って言う人はいるけれど
初めての子どもだもん、”普通”がどんなことかだってわからない。
そのうちになんだかわかってきた。
自分らしく子どもと向き合いたいってこと。
ちょっと、それをていねいにやってみようってこと。
ダウン症だって言われると、
なんだかがんばって育てなくっちゃって、
思わされちゃうところもあったりする。
私が私に似合うかたちで、ていねいにやってみようってことに、
マニュアルはいるんだろうか。
ていねいにって思ったって、生活だもん。
四六時中全力投球なんてできっこない。
できたとしたら、息苦しさにじたばたしちゃうのは子どもかもしれない。
「こういう子育てはねぇ、それは違反でしょう」って診断されちゃいそうなこと、
けっこうやったよねぇ。
とろとろとろとろ食べる離乳食、
向き合って量も咀嚼も考えて。
相手がゆっくりすぎて、まるで必死にやってるにらめっこ。
子どもとちゃんと向き合ってっていっても、
こっちのペースがもうゆったり向き合っていられなくなっても、
まだまだ食事は終わらない。
のそのそのそのそ食べている間、
ちょこっと本や新聞読んだりしながら、
「たべたぁ? じゃあ次いこうかぁ。あーん」
とかね。
顔を見ている時間はにっこりとしていたいななんて。
新聞はいいけどテレビはだめよねなんて、
勝手に都合のいいルールつくちゃったりして。
「育児態度にムラがあるのはよくない」って
いうよね。
でも、迷いながら育てたらムラは出ちゃうよねぇ。
同じことを子どもがしても
たーくさん怒っちゃう時と、ていねいに叱れるときがある。
子どもに対して感情的になりすぎないように接することって、
育児マニュアルとしてはいいのかもしれないけど。
でも子どもに対しての感情がコントロールできちゃうのって、
なんだか恐いことだと思っちゃいけないのかなぁ。
「ヤバイ! 今イヤーな怒り方たしてる!」ってときあるよなぁ。
「ごめん! 言い方が悪かった」ってあやまったり、
「うー、ここんとこ忙しかったしなぁ、疲れてるのかなぁ」って
早く寝る努力をしたり。
自分の睡眠時間が減ると、子どもにしわよせがいくんだよねぇ。
小学校に入ること、”あらためて子どもの障害が見えちゃう”って時期でもある。
だって、いままで幼児だった普通の子どもたちは、
「いってらっしゃい」と言うだけで、
親が見えないところの活動をどんどん始めていく。
それなのに、子どもの手を引いて、まだまだ親が離れられずに、
いっしょに動かなっきゃってところにいる子どもの親は、なんだかしんどい。
「うー、これが障害っていうこと?」なんて
そんな思いにおちいったりしてね。
地域の同じぐらいの子が遊んでいる場所、
親が連れていったりすること。
そのことの意義ってことを考えすぎずに、
たまにはポカーンとうちでごろごろしていたい日ってのが
あったっていいんじゃないの?
自分に似合うやり方で
自分が楽な呼吸のしかたで。
アンタいっしょにいることが楽しめる、
そのことが無理なくやっていけるためには、
適度な違反もワルクナイ。
アンタのゆっくりに教えられながら、
アタシもゆっくり生きていきたい。
*日本ダウン症協会練馬支部「ちゅうりっぷの会」会報、
2000年6月号掲載。
*日本ダウン症協会「JDSニュース」2000年9月号に、
「ちゅうりっぷの会」会報から転載による形で掲載。
| ■ ダウン症の赤ちゃんが生まれたばかりのご両親に |
| Date: 2000-08-20 (Sun) |
生まれた赤ちゃんはダウン症です」って言われて、
「わたしは早く笑顔になれました」って、
胸をはって言われる方もいらっしゃいます。
そんな方が近くにいると、
「わたしはあの人みたいにりっぱじゃない」
「わたしはダメなママにしかなれない」
そんなことを思いがちになります。
でもね、時間じゃないんですよ。
笑顔になるのに、急がなくてもいいんです。
あなたの時計はあなただけのものですから。
「あなたが今感じること」は、あなただからのこと。
ほめられない気持ちも、うしろめたい気持ちも、
みんなあなただけのもの。
あなた自身をまず、大切に抱きしめてあげてほしい。
赤ちゃんは、ゆっくりだけど育っていきます。
あなたの思いも、たとえゆっくりでも育っていくでしょう。
今だから感じること、
それが、何かに迷ったり、迷っているひとに出会ったりしたときに、
とても大切な宝になることがあるんです。
ひとつの思いが解決しても、また別の迷いが出てくることも
あるでしょう。
でも、それが「子どもを育てる」ってことなんだと思います。
あなた自身を抱きしめながら、
あなたらしい「旅」が始まることを、
こころから応援しています。
*リンクしている「MsiteM」の “めっせーじ”のコーナーに紹介されているものです*
| ■ ある女の子のこと |
| Date: 2001-04-15 (Sun) |
ちぃが心臓の手術をしたときに
集中治療室で、ちぃの隣のベッドにいた子は
いつも、心配そうにちぃを見てた。
中学生の女の子でした。
この子は、親に毒づいて、
親はまいってました。
でも、ちぃをいつも、見守ってた。
自分だって、苦しいのに。
集中治療室を、出たり入ったりしていて、
ストレスで、毛が抜けたそうです。
このときの状態も、
けしていいとは言えなかった。
お父さんがよく来ていました。
ある日、わたしはこんなことを言いました。
「こんなに手がかかってたら、
結婚なんて、させられないでしょう?
かわいくて、手放せなくて」
そうしたら、そのお父さんが
「結婚なんて、考えられるような日が来るんだろうか」
って、遠くを見るような目で言った。
それから、急に我に帰って、わたしににっこり笑った。
「たとえ、アラブの王様でも、渡さない」って。
あの子は、今、生きてるだろうか。
彼女はある曲のCDを大切にしてました。
それは、当時流行っていた、
大事マンブラザーズの「それが大事」という曲でした。
| ■ それが大事 |
| Date: 2001-04-15 (Sun) |
大事マンブラザーズの「それが大事」という曲がありました。
これは、ちぃが心臓の手術をした頃、流行ってた。
手術をした日、朝の8時過ぎに手術室に見送った。
手術が終わったのは夕方。
状態の急変があったときのために、夜の8時までの待機って、
言われてた。
「もうだいじょうぶです」って言われて帰った。
夕食を取りに、近所の居酒屋に夫婦で行った。
このときに、有線で、この曲がかかっていて、
泣きそうになったのを覚えてる。
当時、この曲は流行っていた。
そして、ちぃが手術をした外科病棟で、
ちょっと大きな子に流行ってた。
中学生くらいの子は、みな、
判で押したように、この曲のCDを持っていて、
大切にしてました。
ちぃが手術をしたのは、小児専門病院。
外科病棟にいたのは、心臓病の子、白血病の子、腎臓移植の子。
つまり、過酷な入院生活を送ってる子ばかりでした。
ちぃは、「手術が一度っていうのは、いいわねえ」と言われてました。
その中で、「それが大事」という曲は、彼らの応援歌として、大切にされていたのでした。
「負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと
信じること
ダメになりそうなとき、それが一番大事
負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと
信じること
涙、見せてもいいよ、それを忘れなければ」
| ■ 子どもが長期の入院をするということ |
| Date: 2001-04-15 (Sun) |
長期入院をしている子どもは、本当にたくさんいます。
そのこどもたちひとりひとりが、
きちんと精神的ケアを受ける権利をもっているはずだと、私は思います。
また、こどもとしての時間を持つ権利ももっているはずだとも思うのです。
娘が、心臓の手術を受けて、2年後に一週間の検査入院をしたとき、
となりのベッドに、たくさんの点滴をつけた小さな小さな女の子がいました。
小学生になっている、低学年ではないという話でしたが、
その体は幼児のように小さく、手足は痛々しいぐらいにかぼそかった。
家族にも看護婦さんにも、強烈な憎まれ口をたたく子でした。
都立清瀬小児病院は完全看護なのですが、
当時の面会時間は今よりずっと短く、4時まででした。
娘の検査当日のその日、
私は6時まで病室にいることが許可されました。
両手両足を縛られて麻酔後の苦痛に顔をしかめて、
小さな声でうめく。(娘は気管が細く、大きな声で泣けない子どもでした)
手をなでながら、歌をうたってやると弱々しくほほえむ。
歌をやめるとまたうめく。
面会者も看護婦も誰もいない6人ほどの病室で、
私はほかの子どもの迷惑にならないように
小さな声でささやくようにうたっていました。
すると、そのとなりの小さな女の子が、怒ったように言ったのです。
「もっと大きな声でうたってよ。
この部屋の子、みんな聞いてるのよ、わかんないの?」
それを聞いて、
素直に大声で明るく歌うなんてことは、私にはできませんでした。
彼女のその怒りの原点が、とてもとてもせつなかったのです。
ただ、その後に歌い続けた数々の歌は、
みんなのためにと思って歌っていました。
今でも時々、そのときに歌った中の一曲を口ずさむと、
涙がこぼれそうになります。
童謡のテープはあちこちで流れていましたが、
手遊び、歌遊びを実際に自分のためにされること。
こんなささいなことでも、
大切なこどもたちがここにはいるんだと思いました。
親がやればいいと言う人もいるでしょう。
でも、親は四六時中そこにいられるわけではない。
そして、親は、家族に病人を抱え
忙しい生活を送っている当事者でもあるのです。
ゆったりとただ遊んでやりたいと思っても、
時間やこころの余裕のない親がとれだけいることか。
それは決して親だけの責任ではありません。
この時代、幼児の時期に全くの在宅生活という子どもは
そうそういません。
幼稚園や保育園で、それぞれに外に出て、
社会を知り始めるのが普通でしょう。
それがこの子たちはずっと病院にいなければならない。
毎日検査や治療、療養など、
やらなければならないスケジュールもかかえています。
ゆったりとした子どもらしい遊びの時間がどれだけ必要なことか。
その後、
小児病院を対象にした遊びボランティアがあるという話を聞いたとき、
そのことの大事さをあらためて思いました。
この子に聞きました。
「あなたはいくつ?」
「わたし?
もう年なんて、わからないわ。
ずっと、ここにいるし、何も変わらないし。
大きくもならないわ。
自分がいくつだかなんて、もうわからないわ。」
「ばりあふりぃ」掲示板 2000年4月16日投稿分より抜粋。一部加筆。
| ■ 桜の下で |
| Date: 2001-04-1 (Sun) |
お花見に行きました。
桜が見事に咲いていました。
桜の下を、ちぃが元気に走っていました。
赤ちゃんだったころ、
あの子は秋に入院した。
退院のメドは、いつまでたってもつかず、
状態は悪く、先が見えない日々だった。
秋が冬になり、
クリスマスが過ぎて、
お正月が過ぎた。
外泊許可が下りた子がたくさんいて、
病院の元旦は、人もまばらだった。
それから雪が何回も降り、そして春が来つつあった。
病院に行くまでに、桜並木が見事な道があった。
「桜が咲くころには、帰って来れるかしら」って、
思いながら病院に通っていた。
枝ばかりのときも、つぼみのころも。
そして、退院はまだ見えず、
そのうちに、桜は咲き、散ってしまった。
桜には間に合わなかったなあって思いながら、
散ってゆく花びらを、呆然と見ていた。
桜に葉が青々と茂るころ、外泊の許可が出た。
夢のような気持ちで、うちで抱きしめていたその日。
その体はどんどん熱くなっていき、
病院に戻したときには40度になっていた。
退院はまた遠くなった。
そんな日々も、今は遠い昔。
今は、桜の下を走る。
桜の花が、風に散る中で、
健康であることが、ありがたいと、
あらためて、思いながら、桜の下を歩きました。
| ■ 「おめでとう」って言われたい |
| Date: 2001-01-27 (Sat) |
地域のダウン症の親の会の定例会に、助産婦さんの卵の学生さんがやってきた。
研修というか、見学というか。
わたしたちは、ひとりひとり、思いつくまま、いろいろな話をした。
学生さんたちも話をした。
そして、わたしはその学生さんたちに「お願い」をしたのです。
ダウン症の赤ちゃんが生まれたときに、
普通に赤ちゃんが生まれてきたときと同じように、
「おめでとう」って言ってください。
下の子を生んだときに、そこの産院の助産婦さんや看護婦さんに、
「うちは上の子がダウン症なのよ」って言った。
みなさん、ダウン症ってよく知らなかった。
生まれてすぐに、「この赤ちゃんはダウン症」ってわかって、
赤ちゃんの状態が悪かったり、検査のためだったりして、
すぐに別の病院に行ってしまうことが多い。
そんなことがなくても、産院にいるのは1週間。
次に見るのは、1ヶ月検診。
そしてそれで終わり。
どんな風に生きているのか、みなさん、まったく知らなかった。
生まれる現場がこれでは、
「ヤバイ赤ちゃんが生まれた」ってこと以上の感覚は無いかもしれない。
でもね、お願いです。
生まれたときに「おめでとう」って言ってください。
一番最初の誕生のときに立ち会う助産婦さんたちが、
「おめでとう」って言ってください。
命の誕生を祝ってほしい。
赤ちゃんが生まれて「おめでとうございます」って言われるべきときに、
「はい、出産は終わりました」みたいな感じはやめてください。
命のスタートを祝ってほしい。
その後に、その新しい母親には、
「告知」やら「障害に対してのショック」ということが
もちろん待っていることと思う。
「おめでとうございます」って言われたことを、
素直に喜べる産婦ばかりではないかもしれない。
「おめでとう」を言われたことを、反発する産婦もいるかもしれない。
でも、生まれた瞬間に「おめでとう」を言われなかったこと、
それを傷として持っている人も少なくない。
「おめでとう」を言われたことを、反発する人は、
子どもの成長の中で、変わるときがくる。
でも「おめでとう」を言われなかったこと、
それを記憶として傷に残す人は、とても悲しい。
命の誕生の最初の言葉。
それを普通に受け取りたい。
どうぞ、お願い。
「おめでとう」って言ってください。
ちぃは生まれたときに「おめでとう」って言われたのだけれど、今までにいろんなダウン症の子の母の立場の方と出会って きて、感じたことでした。
ダウン症だけではない。先天性の四肢障害や口唇口蓋裂。
つまり、「生まれた瞬間に、目で見てわかる障害をもつ赤ちゃん」は、「おめでとう」を言われてないことが多い。
小さなことかもしれないけれど、「おめでとう」って言われなかった記憶というものを引きずっていく人がいなくなることを、わ たしは望んでいます。
関心を持たれた方は、次のページにお進みください。
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